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■昭和ノスタルジー キャロルの走り

2007年07月31日

さて、ご存知の如く、車は排気量で自動車税が決まり、
軽四は他にも特典が多かった。
重量税も安く、自動車税も安く、何より燃費がよい。

新入社員の私は、先輩とキャロルに乗って、大阪へ行ったことがある。
あれは昭和38年。夏の日差しが強かったことを覚えている。

北陸と関西を結ぶのは国道8号線である。
道路も街角で大きくカーブしていて長閑(のどか)だった。

水郷、滋賀県の水路に小船があちこち点在している時代で、
小さな橋をいくつも渡り、私たちは彦根に着いた。

今回のドライブに名神高速道路を走る計画が入っていた。
8号線から名神高速・彦根インターは、道なりに白っぽいほこりが舞い散り、
ダンプが行き交い、大掛かりな工事が続いていた。
そう、まだ名神高速道路は建設途中だったのである。

彦根から大阪方面に開通はしたが、名古屋方面はまだだった。
まっすぐ伸びた高速道路が夏の日差しに白く乾いている。

私と先輩は、暑さに喘(あえ)いでいた。キャロルにクーラーはない。
この頃、クーラーは別注文であり、一般的にないのが普通だった。
(現在は軽に至るまでフルフル装備である。)

驚くなかれ、私らのキャロルはまるで名神高速を貸しきったかの如く進んだ。
キャロルの最高速度は80キロ。だが前にも後ろにも車がいない。

対向車線も車がまばら。時々後ろから車がキャロルを追い越していく。
どうにもこの軽四のキャロルは、名神高速には登場すべき車でないような気がした。

(本格的)水冷4気筒エンジンは、夏の暑さに悲鳴の如く唸(うな)っている。80キロで。
オーバーヒートを心配しながら、大阪に無事到着。
始めて見る御堂筋は、銀杏(いちょう)並木も素晴らしく、北陸の地では見かけないスケールの大きさだった。
私達は度肝を抜かれたものだ。
そうそう、あの頃の御堂筋は対面通行だった。

さて先輩の目的は何と、何と彼女を迎えに来たのだった。

大阪の親戚に遊びに来た彼女を、帰りは車で送ろうというのである。
狭いキャロルの、2ドアの後ろに私は閉じ込められた。選択肢はそれしかない。

帰りの名神高速道路を、最高速度80キロでキャロルは進む。
エアコンなど、気の利いたものは一切ない。
前の席では話が弾んでいるが...。

私はまるで哀れな荷物の如く、事情を一切知らされず、同行したのだ。
会話にも入れず、寝たふりもままならず、キャロルのリヤエンジンの唸りだけが、
私より辛い目にあっているだろう事を実感したのだった。

さて、次はパブリカとカローラの対比と行きましょうか。

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