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■昭和ノスタルジー パブリカ対カローラ

2007年08月03日

マツダのキャロルは日本自動車史上、
完全に製品化された中で最も、遅足、鈍足だったろう。
水冷4気筒アルミダイキャストエンジンも、
この走りの前では説得力を失くす。

だが日本の自動車産業は、急激にここから上昇していく。
トヨタは国民車パブリカを販売し、トヨタにしてこの
パブリカまでが、キャロル販売の志向と趣旨を
同じくしていたと思う。

一旦、市場のスタートライン、ゴールラインを見据えた車は、
最早(もはや)謳(うた)い文句を必要としなかった。

当時のレートは1ドル=360円である。パブリカは
スタンダードで36万円だった。

700ccのパブリカは水平対向式・空冷エンジンという
2気筒のシンプルなものだった。エンジンの
震えがそのままボンネットを揺らし、高級感、静粛性とは
無縁だったが、故(ゆえ)に狙い通り、国民車の
パブリック(大衆)カーとしては、成功だったのである。

この頃からトヨタと日産は2大巨頭で、
日産はサニー1000ccを発売していた。
マツダもファミリアを発売し、大衆車クラスでも
競争は本格的に激化してきた。

カローラ発売まで、そのつなぎに
パブリカは700ccから800ccになり、
自慢?の(水平対向式)空冷エンジンも
若干落ち着きを取り戻してはいたが、
空冷は空冷のエンジン音である。

カローラは勿論水冷エンジンの静粛設計。
ライバルのサニーは1000cc、カローラは1100cc。
カローラはプラス100ccの余力といった売り出し方だったが、
1000ccの分岐点は、今振り返っても重要な
ターニングポイントだったと思う。

私はパブリカの最終モデル800ccを自家用車にしていた。
友達はカローラを手にして、各々の車で東京のモーターショーへ
行ったことがある。

この頃は既に名神、東名共々開通しており、日本の
自動車産業はいよいよ黎明(れいめい)期に入らんとしていた。

パブリカは最高速120キロで限界を訴えたが、カローラは
余裕しゃくしゃくで、追い越していったのである。

単なる一セールスであり、日本の基幹の端っこにも
ぶら下がらない私だが、この時、厳かなる気持ちで、
時代の変遷の確かさを感じ取ったのである。

キャロルはすでに遠く、パブリカもその役目を終え、
サニー、カローラの対決においてはカローラが
一歩抜きん出たなと思った瞬間でもあった。

日本のモータリゼーションに於(お)いて、
私が実際その車に乗ることによって、
尚更身近に切迫感を持って感じられた事は誠に幸いである。

あの頃のトヨタ、日産はいい勝負だった。優劣はともかく、
全車のレイアウトが互角でがっぷり。

当時の日産は「技術の日産」を自他共に
自負していた時代であり、
名車を数々輩出してきた日産が、今日の衰退に至るのは、
プリンスが日産に吸収合併されたのと似て、
旧くのメーカーが今はその存在も忘れられて、
時代に埋没していったのと同じ図式である。

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伏見谷 徳磨


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