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■夏の残像 神岡の花火

2007年09月05日

今年も異常な夏だった。熱暑、酷暑と呼ばれ、熱帯夜が連続し、
もはや日本の自然の情感や豊かさが忘れ去られそうである。

9月に入っても暑さは変わらない。だが確実に日の出は遅くなり、
日没は早くなり、風はどこか秋を運び、虫の音が秋を告げる。

そう確実に季節は秋に近付いて来ているのである。
だがこの暑さには辟易(へきえき)である。お盆も過ぎれば、
残暑厳しきといっても少しはしのぎ易くなるのだが、今年は大変だ。

そういうわけで頭もボーッとして、思考能力も停滞気味だが、
こんな夏だからこそ、憂さ晴らしに天空を翔(かけ)る
花火が美しい。

大阪には日本一といわれるPLの花火があり、
日本三大祭の天神祭があるが、
おおむね、全国各地の著名都市には
大抵花火大会があるものである。

雑踏、人いきれ、草の匂い、川風・・。
遠い幼い日の花火の記憶はこんなものだろうか。
始めてPLの花火を見たときは驚いた。
その豪華絢爛、息も尽かさぬ大連発に次ぐ大連発。
夜空を覆って、欺(あざむ)くばかりの光と音の祭典だった。

天神祭りは又華々しく派手派手しい。
かっての水の都を彷彿(ほうふつ)とさせ、
商人の町の見栄とはったりが垣間見える。
太閤殿下の威勢やかくばかりかと思わせられるのである。

その他、淀川の花火大会、茨木の弁天様と夏の風物詩は続く。
テレビでは東京隅田川の花火大会と、
日本各地が夏の花火を楽しんでいる。

そして私はポツンと今も胸に残る花火大会を思い出すのである。
それは昭和も終わり近く、62年の夏だった。

その2年前、昭和60年の夏も印象に残っている。
私はその年の夏、病魔と闘うため入院していた。

丁度お盆に、あの有名な日航機のダッチロール、
行方不明事件があり、結局飛行機は御巣鷹山に墜落して、
奇跡的に生存者を三名残し、
後は全員死亡という大惨事の事故である。

昭和60年の夏も暑かったが、私は快適な空調の病室に居て
この夏の暑さを知らない。幸い病気を克服しての2年後のお盆。

私は国道41号線を北上していた。
41号線は名古屋と富山を結ぶ幹線道路である。
大腸を40センチほど切り取り、どこか体調が釈然としないまま、
この年のお盆休みを目的も何もなく走っていた。

遠い日、よく飛騨高山をドライブしていたので、
懐かしさが41号線を富山へと向かわせていたのだ。

41号線は岐阜の山間部を縫って、飛騨川沿いに走る。
幹線道路といっても対面交通の曲がりくねった山道である。

観光地としてすっかり有名になった高山は、それなりの風情がある。
少し立ち寄り、懐かしさをかみしめた後、
山道の上りを数河(すごう)高原に向かう頃には、
山の早い日はすっかり暮れていた。

数河(すごう)高原の長い坂を上り、峠のドライブインを過ぎると、
下りはきつい坂が大きく曲がっている。

この坂の下に広がる街が神岡で、最近まで鉱山で有名だった。
盆地のようになっていて、回りは重々たる山の連なりである。

神岡を抜けると平湯温泉、安房峠、乗鞍岳・・、穂高も近い。
私は実にこの地を良く走り回っていた。

安房峠を思い切り曲がりくねったら、頂上で国境をなし、
飛騨、信濃の分かれ目となる。
激しく下り坂が右、左に変化し、橋を渡って突き当たった道を
左折すると、その先は有名な上高地である。

41号線の右手奥に、北アルプスの深い山々を控え、
神岡の街は眠るように暗い。時計はまだ8時前だというのに。
国道だといっても、過疎に似た田舎町である。
行き交う車もまばらだった。

神岡を抜け、富山県境を越え、
神通川に沿って市街地に至るまで、
神通峡と呼ばれる景勝地である。
山肌と峡谷を縫うようにして走るこの道は、
私の最も好きな道である。

最も夜の闇の中では、重苦しい沈黙だけで、
景色など望むべくもないが。
夜の走行に少々疲れも出始めていたとき、
突然何の前触れもなく、右手にシュルルルと音が尾を曳(ひ)いた。

それが今も私の脳裏に残る神岡の花火である。
シュルルと音を曳いた花火は、
周囲の暗い山々を背景に、パッと華やかに咲き、寂しげに消えた。

少し疲労感で空白になった頭に、
それは思いがけずも、生きる力の強さと弱さを瞬時に思わせた。

ハッと夜空に見とれ、花火が上がって開いて
消えるまでを見届けた。
次の花火を待つと少し間がある。そして上がった。
車窓から街に人の気配はない。何の歓声も何もなく、
ただ暗い夜の街に花火が黙って一つ、一つ丁寧というか、
無表情に花を咲かせている。
音だけがポーンと慎ましく周囲の山にこだました。

私は車を路肩に寄せた。続いて2、3台が続いた。
遠い山のシルエットが浮いている。
そして花火が時々思い出したように上がる。

病の後遺症に引きずられ、体調が時々思わしくない時期だった。
私は魅入られるように花火を待った。
濃淡の深い山の重複が遠い。
次の花火が視界から消えるとき、残像の中、
不意に私は自分が失意のうちにあることを知った。
そして納得した。気付いていなかった緊張が溶け出している。
夜風が心地よいことに気付かされ、目頭が熱くなった。
必要以上に大きく息を吸い、生きていることを確かめた。

賑やかに騒々しいくらい豪華絢爛な花火も良いが、
あれから20年を経た今、
何故か心の片隅に残る神岡の花火なのである。
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販売・サービス、その他の事も
お任せ下さい
伏見谷 徳磨

この記事へのコメント

(吉高)

コメント有難う御座います。

株式会社フクジュの吉高です。
この度は修理の件で大変ご迷惑お掛け致しました。

御納車後にESP、BASランプが点灯するとのご連絡頂き、敏速に対応させて頂いたつもりですが、
結果として、再度点灯してしまい、
非常に申し訳なく思っています。

私のご説明不足、お気遣いが足らなかった事を
改めて反省しております。

今後とも、どうぞ宜しくお願い致します
[2007-09-06 15:53:57]
(今井)

夏の残像 神岡の花火 ?

風流ですね。それより顧客の車をなおして下さい。

もう3回も修理に出しているのに、一向になおらないじゃないですか。

風流に浸るのもいいですけど、もっと信頼関係に力を入れるべきだと思います。

修理から帰ってきたと思ったら、ガソリンは空っぽだし。
修理箇所は、なおっていないし。もうごまかすような返事はいいですから、しっかりなおして下さい。お願いします。

部品交換に7万円もかかったと言われても、こっちには関係のないことです。故障している車を売る方が、どうかしていると思いますが・・!
[2007-09-05 23:09:18]
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