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■60年代 カーグラフィック ミニ

2007年10月24日

あれは昭和43年ごろだった。
東京で仕事をする弟を訪ねたことがある。

私ら夫婦と姉夫婦。まだ1歳に満たない私の長男と、姉夫婦の長女。
そして弟の友達。大人5人と乳飲み子2人である。

この年私はクラウンの新車を買って、遠出もしたかったのである。
あの頃は≪いつかはクラウン≫のCMが堂々とメーンを張っていて、
クラウンは名実共に日本を代表する車だった。


4ドアセダンにぎっしり乗り、帰路の国道18号線を辿っていた。
大都会東京の過密を逃れ、近隣都市を遠ざかり、
車はのどかな田園地帯を走っていた。

国道18号線は市街地を離れ、両側にリンゴ畑を眺めながらのドライブだった。
急速な車社会への移行で、国道は各地でバイパスが整備され、
あの頃は広い道に見えたものである。

前後に車の影はなく、道路の起伏がのんびり遥かに連なっている。
スピード違反に気をつけ、背後にパトカーを気にし、ミラーを覗く。

青い空、白い雲が世俗を離れ、信州は正に別天地の趣である。
晩夏或いは初秋だったのだろうか。季節が爽やかだった。

そしてふとミラーに一点の曇りが見えたと思ったら、
それは見る見るうちに後方へと迫ってきた。

最初は軽四かと思った。小さな影は明らかに小さな体型である。
だがぐんぐん迫るフットワークというか、迫力は尋常じゃない。

ミラーにハッキリ姿が映し出され、
妙にしゃちほこばったフロントマスクが、個性を際立たせ迫り来る。

これが私が始めて見たミニの勇姿である。小さいながら個性充分。
ゆったりと悠久の気分を味わっていた私のクラウンを捉え、
≪いつかはクラウン≫のビッグネームを恐れることなく、
追い抜きざまミニはキュッキュッと尻を振り、静粛なる事この上ない?
クラウンを欺(あざむ)くが如く、挑発するが如く小気味よさを演出した。

何の何のと、私も充分リクエストに応えるべく
コミカルな戦闘体制は持っているのだが、この時は満員、乳児、
そして何より信州の旅路のロマンが周囲を包んでいたものだから、
ここは静かに大人の感覚でやり過ごしてやった。

運転席には若い男が帽子を被っていた。
まあ私も若いからどっこいどっこいだろうか?

この時代、若者の憧れるファッションの一つがミニでもあった。
勿論このようなカテゴリーを好む若者にという前提がある。

自身で買えて、ファッショナブルでもあり、パーツも色々あり、
エンジンのチューンも出来て走りもそこそこであり、シンプル且つ
小さな車体からはスピードの臨場感が強く、普遍性より個性である。

ミニのトラブルはそれこそ山とあり、
ミニの専門業者はそこらの因縁因果を含めて
トラブルまでもがミニの魅力であると喧伝(けんでん)していたものである。

一般的な外車はとてもとても・・、手が出ず高嶺の花であり、
フォルクスワーゲンこそが、当事の外車の代名詞だった。

高級外車は別にして、空冷のワーゲンはヤナセの店頭で
国産の高級車と一線を画し、奥様方の一味違った趣向を飾っていたものである。

そんな優雅と対極の位置がミニであり、一部車好きの若者に愛された。
チューンナップカーの名前も懐かしい。モーリスミニクーパーである。

あの遠い昔、私が信州で見たミニは
正にクーパーではないかとふと思うのである。

あの時の足回りのトントンと跳ねる感じや、キュッキュッと尻を振る感じは
ドライバーにこれ以上ない至福の醍醐味を感じさせたと思う。

運転の楽しみや、オプションでの飾りを楽しませ、
その可愛らしい容貌と相まって、ミニは長年日本のファンに愛し続けられた。

だが日本車のノントラブルや世界中の高性能化の中で、
旧態然を維持し続けたミニは、旧き良き時代をピークに
近代の波に抗し切れず、遂にBMWの傘下に収まり、
今は完全武装の近代化を果たし、あの頃の脆(もろ)さや安っぽさをすっかり失くし、
違った顔を見せて、でもミニの可愛らしさだけはどこかに少しという感じである。

時代は斯(か)く流れ、斯(か)く移り変わり、ミニもその一ページを飾った。
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伏見谷 徳磨

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