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■ペテンなセールス

2007年10月26日

´60年代は総じて混沌としていたようである。
曰(いわ)く安保騒動に揺れ、学生と機動隊の衝突は死者を見、
デモは連日国会周辺を取り巻き、政治家は一身を賭していた。

と、まあこんな常套手記や会話が良くマスコミに登場するが、
まあ地方にあっては、或いはそのような環境の範疇にない我々にとっては、
結局全く望外の出来事であり、全く与(あずか)り知らぬ世界の出来事でもあった。

当事者から見れば無責任となるかも知れぬが、案外世の中はそのようである。
部外者も多く、利害関係から離れると、まあどうでも良いのである。

昨今のインターネットの如き、情報媒体がなかったことも一因かも知れぬ。
連日のテレビのニュースは只垂れ流され、私は日常に汲々としていた。

その頃、私はトヨタのディーラに勤めていた。昭和39年、40年である。
40年代と言わないのは、この頃を境に一気に世の中が変わっていくからである。
30年代から国産メーカーのディーラー網が整備され始め、各メーカーが出揃った。

モーターリゼーションは、日の出の勢いで、若者や大人は誰もが車に憧れ、
車は社会の必需品となっていった。勢い販売員(セールス)が足りない。

この頃のセールスという語源には嫌な意味合いがあり、
セールス=ペテン師という偏見が人々の意識の潜在にあった。

俗に口八丁、手八丁。口先で人を騙すというイメージであり、
特に車屋とくれば、需要と供給の中で悪徳セールスが横行し、
要は品質の悪い車を高く売るという類である。

この頃は車の品質も悪く、耐久性も良くない時期だったから、
若干の誤解や偏見も混在し、道路事情も悪く仕方のない部分もあるが、
実は実際悪いセールスが多かったのである。

まあ私も20歳前の未熟だから尚更そう感じたのかも知れぬが、まあその一節を。

発足間もないディーラーはまだ未成熟で、これからが発展途上だった。
セールスは既存のトラックメーカーからのセールスや、
或いはどこか、何かのセールス上がりで、そうベテランはいなかった。

ディーラーがこのような状態だから、販売周辺の状況もそうで、
車に限らず物を売れば回収が生ずるが、何しろ車は高価である。

一度の現金払いもままならず、大量販売を目指しながら、
実は割賦方法が未だ充分整っていなかった。
先ず、私が入社した頃は、月賦払いを手形でするのだが、
その手形が何と文房具屋で販売していたことである。

悪徳セールスは、お客から現金を貰い、文房具屋で手形を買い、
手形に住所、名前、支払期日を記入して、三文判を買ってきて捺印する。

現金はセールスの懐に入り、会社へは手形を入れる。これで一件落着だ。
まあ、表面上はこれでいいが、悪徳セールスは皆若かった。

若い私から見て、皆立派なやり手たちだったが、二十代、三十代の若者である。
たんまり懐に入った現金を持つと、先輩方はやれ毎晩飲み屋へと通ったものである。

金に飽かせ、皆立派な背広を仕立て、靴は磨き倒し、ベルトはクロコダイル云々とか。
財布もまたワニの凸凹のこぶの大きさを競い、朝は先ず喫茶店でたむろし、
とまあこんな日常だった。勿論口八丁、手八丁は当たり前である。

喫茶店の若い女の子の前で、これ見よがしに財布を開くと、たっぷりお札が膨らみ、
全くバブリーな泡沫(うたかた)な生活をしていたものである。
只、万札だったかどうかが定かでない。私の初任給は1万円だった。

こんな若者が飲みに行けばもてないわけがない。一流クラブやキャバレーへ足繁く通い、
夜の街では皆そこそこの顔である。酒と女と金の生活が大なり小なりそこにはあった。

さて、文房具屋で買った手形は期日が来たら銀行へ回ってくる。
悪徳というより、馬鹿で能天気で調子者のセールスたちは慌てふためいて走る。
甘い生活には結構スリルが付きまとうものなのである。

そして会社へ入れる手形の数が増え、どんぶり勘定しか知らないセールスたちは
忽ちその管理に右往左往して、馬脚を現し、失態を演じ、
不渡りやら何やらとてんやわんやとなるのである。

まあ、悪徳というより、子供染みたペテンの一歩である。
ここを一歩踏み出し、更に又踏み出すと、もう立派な犯罪者ともなり得るのだが、
そこは車好きの青年たちでもあり、深く悪徳の道に進み出す者は少なく、
大概はここらで会社から突付かれ、お客から突付かれ、
それは信用を失くすから居れなくなる。

新人の私もよく飲みに連れて行ってもらったものだ。皆気の好い先輩だった。
斯(か)くしてこの昭和40年代は、文房具屋から銀行販売の丸専手形となり、
このような前後の分別なきセールスたちは抹殺され、追い出され、
社会もセールスも、そしてディーラーもキチンと整理され、
社会全体が組織の網羅に収斂(しゅうれん)されていく。

組織の管理、秩序に殉ぜぬ者は必要なく、野武士の如き大胆不敵、
勝手気ままに、組織の長の言う事など、どこ吹く風と鼻でせせら笑う
という人間は現在皆無となった。

押しなべてきれい事を並べる時代かなとも思うし、良き時代には間違いないが、
変な人間、事件が続発していることも気になる。

ついでに付け加えておけば、遊び呆けて使い込みをした人間は
矢張りどこかにそれなりの欠点もあるらしく、
退職し、或いは首になったその後の消息は、今一つパットしないのである。

でも遠くなった月日と共に、あの頃はそういう人間がセールスだった。
という事を思い出すと、妙に皆が懐かしいのである。
色々個性多き先輩方、今は少し老い、人生の辛酸をそれなりに舐めているのだろうか。
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伏見谷 徳磨

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