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■60年代 カーグラフィック ムスタングマッハ?

2007年12月01日

先頃、60年代 カーグラフィックでミニの思い出を載せましたが、
今回は対極のスーパーサイズ、アメリカンドリーム華やかなりし頃のアメ車です。

星条旗は永遠なりの下、この頃のアメリカはかなり混沌の中にあったようです。
先ず益々泥沼化するベトナム戦争は、今のイラク戦争にも似て、
正に出口が見えないものでした。

フランクシナトラを代表とするショービジネスの世界では、光と影の部分が交錯し、
一般大衆に夢を見せるには、深い深い暗部の構成こそが不可欠なようで、
それは誠に世の中の、人間社会の政治、経済、地域、環境、貧困・・・と、
あらゆるものに密接にリンクし、全てが現実のものであるということに、
大きな教訓を与えられました。

まだまだ日本はアマチュアで、アメリカは正にプロ中のプロという格の違いでしょうか。
車にあってもそうで、既に性能や品質面では一本立ちしょうかという日本車でしたが、
その全体像というものは、ちまちまと国情に合ったもので、兎に角小型車で、燃費も良くという
堅実一路、質素倹約という、色々なしがらみがたっぷり染みているものでした。

そしてその頃私が目にしたのが、ドドーンと誠に誰に遠慮もなしのビッグカーでした。
排気量5リッターとか7リッターとかの、ガソリンや燃費など、エッ何の話という車です。

ムスタングマッハ?やコルベットスティングレー、ポンティアックトランザム・・等々。
高級車ではリンカーン・コンチネンタル・マーク?やキャディラックブロアム、
クライスラーからはニューヨーカーなどという個性派もいましたな。
ライトウェイトではカマロなどがポピュラーにデビューしていました。

≪いつかはクラウン≫の日本を代表する大型車は、セドリック共々、真面目に几帳面に
それなりの品格を保ってはいましたが、誠にアメ車の前に出ると、それだけのものでした。

勿論、既に完成度の高い位置にはいましたが、
これは正にアメリカと日本の国力、文化の違いでしょうか。
アメ車は大胆且つダイナミックに、日本のちまちました観念を吹き飛ばしました。

パワーを漲(みなぎ)らせたデザインは、正にアメリカンドリームです。
その頃北陸の地方都市の路上に、一台のムスタングが良く止まっていました。

業界も落ち着き、大ぼら吹きのセールスや、ペテンなセールスも淘汰され、
国産車と真面目に対峙してきた私たち?は、
始めて間近に見る外車に素直に感嘆したものです。
因みにこの頃の外車は=アメ車の代名詞でした。ベンツ車やBMW車はまだ希少で、
ヨーロッパはまだゆかりの遠い地域だったのです。

私たちセールスの1日は先ず喫茶店から始まりました。
その毎日行く喫茶店の向かい側に、いつからかアメ車が止まるようになったのです。

アメリカ映画でよく見る大型車が道路に無造作に止まっているのは、
それはそれは、それだけで絵になる景観でした。
左ハンドルを間近に見るだけでも、何か得をしたような気がしたものです。

跳ね馬はフェラーリの専売特許ですが、、ムスタングも馬のエンブレムだったかな?
凄くボンネットが長く、ここに5リッターとか7リッターを積むのかと思ったものです。

伸び伸びと大らかなボディーは流石(さすが)アメリカを感じさせるに充分でした。
大きなボディーの割りに室内はコクピットのように窮屈で、どこか戦闘機を思わせます。

喫茶店でコーヒーを飲みながら道路の向かい側を見ていると、
今しも歩道側からドアを開けようとしています。サングラスにストライプの背広、赤い靴。
若そうでもありますが、屈強に人生の荒波を潜り抜けている感じです。

不意にフランクシナトラのショービジネスの夜の世界とか、
アルカポネのギャング団が往時、このような車を駆って
闊歩(かっぽ)していたのかと思わせられました。

私たちの視線を知ってか知らずか、左シートに座った男は、
おもむろにタバコをくわえると、アクセルを一吹き二吹きし、
と見るや車はキュキュキューッと、尻を滑らせながらタイヤを軋ませスタートしたのです。

フーッと、私たちはため息をつきました。いくら車好きでもアメ車に乗るには
それなりな人でないと、とても乗れない雰囲気を感じたものです。

ムスタングマッハ?は名前の通り、フロントを少し浮かせるようにして、
リヤを沈ませ走り去りました。マスターは一言
「不動産屋らしいよ。東京から来てるんやって」

その後、アメ車も随分安く買いやすくなり、若者もローンで買えるようになり、
私も良く乗る機会に恵まれましたが、実際乗ると余りの大味に驚きました。

大排気量による太いトルクだけが魅力で、瞬間の出足は凄いのですが
後のクルージング(巡航)は全く乏しいもので、高速性能に至っては
タイヤがバカ太いので誠に不安定です。100キロ前後でハンドルも振ります。

まあ、その後の経過はご存知の通り、ベンツ、BMWなどヨーロッパ車に
取って代わられたのもむべなるかなです。

まあ、日本車の完璧に近い緻密さから見るとしょうのないことなのでしょうが、
それでも細かいことは気にせず、大らかに太いトルクで瞬間のダッシュを楽しむ国民性は
自由と奔放を大いに楽しむべく、ボディーにストライプを描き、
トランザムのボンネットに羽ばたく鳥の絵などは、誠に楽しく大胆で、
ヤンキー気質を充分見せ付けられました。

その後、ヤンキーが若者の一部を指すようになったのも、この名残りでしょうか。
世間の枠から少し外れ、自己主張するのも、
エネルギーを持て余しているからと言えなくもありません。

若さのエネルギーも時には厄介なもので、暴走の危険を孕みつつも、
上手に乗り切れば世間の中に上手く溶け込み、
結構その後の人生で成功している人も多いようです。

勿論皆がそんなに上手(うま)くいくはずもなく、
若さは不安定な情緒に支えられ、いつも悲喜劇の綱渡りをしています。
思惑以上のものに流され、惑わされ、身構えて・・。

振り返れば、あの頃のヤンキー気質充分な若者も、
今はもう50才前後になっているはずです。

はてさて、人生のトラップを潜り抜け、今は皆さん如何な人生を?

世間に抵抗を試み、居場所を探して辛かった時代と今現代、
どっちが大変なのかな?と思ってしまいます。

車好きのヤンキーや、便乗したヤンキー。
どうあれ人生を生き抜く強者(つわもの)どもに乾杯と往きますか。
あの頃は良かったと。

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伏見谷 徳磨

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