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■ベンツの神話

2007年12月07日

ご存知でしょうか?昔、昔といえばオーバーですが、
世の中には結構身近に神話が存在していたことを。

その一つがベンツにもありました。
曰(いわ)く、ベンツは事故を起こしても乗員は守られる。
アウトバーンを走るベンツ、ヨーロッパ車の足回りは凄い。
といった類です。

ダイアナ妃がパパラッチなる報道陣やカメラマンに追いかけられ、
非業の死を遂げたのはベンツ140に乗っての死でした。

猛スピードで逃げるベンツ140。追いかけるパパラッチ。
それは正に壮絶なカーチェイスにも似て、
ダイアナ妃は無念の死を遂げました。

美貌のダイアナ妃はそれこそ世界中が愛していたプリンセスです。
イギリス王室との確執も取りざたされ、
チャールズ皇太子との不毛も取り沙汰されましたが、
愛の逃避行にも似て、美貌のヒロインは最後まで余韻を残して散ったのです。

この時一部で、もしダイアナ妃が126に乗っていたらという話がありました。
126は140が出るまでのベンツSクラスです。

ほんの少し前まで、そうこのベンツ126の頃までは
神話が確かに存在していました。

日本車は既に完成の域に近く、90年代初頭には
アメリカと貿易摩擦を起こすまでに、信頼性の高い、
高品質の車を輸出するようになっていましたが、
この時の評価は只、安くて性能の好い車だったのです。

それは日本車がまだまだ発展途上の時代で、日本車自体が、
未だ自らの力量をどこかで認識していなかった時代でもありました。

この頃既にヨーロッパ車は、スポーツマインドの歴史を充分蓄え、
アウトバーンでは時速200キロオーバーという、
今の日本でも考えられない土壌が存在していました。

一番外側をフォルクスワーゲンや小型車が走り、
次の車線をアウディーやBMWの小型車、次をベンツやBMWの大型車、
そして一番内側を吹っ飛ぶのはポルシェ911やフェラーリと、
まことしやかな風説が日本の車好きの愛好家諸氏を相手に、
雑誌に体験記が語られていたものです。

そして特にベンツのブレーキングが賞賛されていました。
その延長線上に、ヨーロッパ車全体のハンドリングというか、
スポーツ性能、ブレーキ性能が既存の認知を受けたのです。

この評価の裏側には、アウトバーンの存在が大きいと思います。
200キロオーバーの実績が物を言ったのでしょう。

日本も軽四から大型車まで、多品種を生産し、一家に一台、
二台の時代になっていましたが、本格的なスポーツカーには未だ遠い時代でした。

でも2TGというトヨタのカローラレビンや、ダットサンフェアレディーなど、
既にエンジンや足回り、ハンドリングなどに成熟を見せた、
硬派の走り専門のスポーツカーは存在したのです。

この頃は他にいすゞベレットGTや、117クーペ、ホンダS800、トヨタ800、
マツダロータリー車のGT。更に本格的でスペシャリテイーなマツダコスモ、
トヨタ2000GTなど、多士済々のスポーツマインド車が溢れていました。

オープンカーや、2ドアクーペなど、只、系列としては実に雑多で
収拾のつかないものでしたが、知らず遊び心はあの頃の方があったようです。
そういえば日野コンテッサクーペとかもありましたな。

このように日本車の方が実は既に、
あらゆる面でヨーロッパ車を凌駕していたのですが
只一つ、足りなかったものが神話だったのです。

昭和から平成に名を変え、日本は未曾有のバブルを体験し、
バブルの時期には全てが解禁となり、日本の旧き良き伝統までもが
毀釈(きしゃく)の憂き目にあったようです。慎みや恥じらいなど、
社会の底辺に縦横にあった人と人のしがらみなども解禁され、
ベンツに乗ることに一種の抵抗感を抱いていた人も、
「ま、金があればいいかな」となったのです。

おかげでバブルの時代、ベンツ、BMW、ジャガー、ポルシェ、フェラーリ
など等、全ての外車が一気に躍り出ました。

でも初めて高級外車に乗る人には、満足感と共に、
一種の怯(ひる)みにも似た感情もあったようです。

それは正にベンツやヨーロッパ車に対する信仰にも似た神話でした。
ユーザーは急激なバブルの恩恵を被(こうむ)った人々が大多数でした。
古くからのベンツユーザーは泰然とし、新興バブル族は大いなる
期待と名誉を手中にした喜びに舞い上がり、高級外車も一気に
一般庶民感覚に染められたのです。

ベンツの神話は126まで。
メルセデスベンツ560SELは正にモンスターでした。
排気量5600CCのトルクは太く逞しく、
アクセルを踏むとドロドロと唸り声にも似た響きが底知れぬパワーを予感させ、
始めてベンツに乗った人を大いに満足させたものです。

走りもパワフルでした。そして私は或る日、
ベンツ560SELを修理屋と試乗していました。
狭い路上を何かの音をチェックしていたと思います。

そのとき狭い路地から急に自転車が飛び出してきました。
ベンツも何度目かの加速を繰り返していたときです。
「アッ」と二人同時に声を上げ、「しまった」という思いで
全身が凍りつきそうになったとき、
ベンツは正に白煙を地面に叩きつけるようにして止まりました。

それは正にベンツの神話そのものだったのです。
ハンドルを取られ、車があらぬほうに持っていかれたり、
スリップして止まらなかったりの逸脱はなく、
ベンツは正に語り継がれる神話の如く、泰然と悠然と当たり前の如く、
ブレーキを踏んだその位置にのめり込むように、
不動の位置を確保するように停止したのです。

「さすがベンツや」。修理屋の社長は言葉を漏らし、私も頷(うなず)きました。
これが国産だったら、車は絶対どこかへ持っていかれ、
自転車も人も、そしてきっと家にも突っ込んでいたことでしょう。

126は1980年前後から91年まで。
140はその後126より更にボディーを大型化し、
ベンツの威嚇、威厳は更に深まりました。

そうベンツの神話は、実は性能と共にこの
スリースターポイントと呼ばれる車体の威厳にもあったのです。
この時代は正にベンツ社が総力を結集して時間と手間をかけていました。

故にマイスター魂が、内外共に呼応し、
世界に冠たるブランドを確立したもののようです。

時代は移り、旧きよき時代は日本のバブル崩壊と共になくなり、
如何にベンツに手間隙がかかろうと、修理に大金を投じようと、
それを超越してベンツだからと全てを許容していた大金持ち、
資産家、大企業から、市場が一般庶民を含めた世界に移った途端、
ベンツだからといった甘えは許されなくなったようです。

階級性に彩られたヨーロッパ社会も、
世界をうねるマネーウォーに巻き込まれ、
原価と品質の徹底した競争が、世界の自動車業界の再編を招き、
ベンツもコストを無視することは出来ず、神話は遂に崩壊してしまったようです。

でも巷間、140まではベンツも手を入れていたといいます。
そしてこのセリフはミディアムの123から124にモデルが変わったとき、
矢張り言われたセリフなのです。前まではもっと良かったと。

今のベンツはスタイルにも威厳や威嚇の要素がなくなり、
スマートな車体は垢抜けた一般の高級車と競うべく、
実にソフトムードに変身を遂げたような気も致します。

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伏見谷 徳磨

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