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■平成20年を迎えて

2008年01月18日

平成も20年を迎えた。世代交代は正しく時代の交代となりつつある。
昭和が益々遠くなり、平成がそのうち時代の潮流となるのだろう。

大まかに言えば、近世は江戸幕府が大政奉還をなし、明治へと改まって始まった。
富国強兵、列強に遅れてならじと、その頃の国家的事業は生糸の生産輸出だった。

薩長を主とした武力信奉は、泰平の謳歌の徳川を壊滅へと追いやり、
国家の存在意義は矢張り武力、軍事力だと過信したことは言うまでもない。

国家の向上心はそのまま軍部の台頭を招き、日露、日中と戦火を交え、
運良く世界情勢の力のバランスの中で、日本は勝利を収め、軍は優位を保った。

明治の維新戦争で得た教訓は、一兵卒に武士道の死を賭しての忠義だった。
明治、大正、昭和へと突入し、世界の列強に対抗し、一気に我が地位を高めるため、
国家は軍部を中心に鋭意模索していた。だが如何せん、小国で後発国の我が国は
資源に乏しく、産業も近代化の大国からは随分遅れていた。

だが精神の高揚だけはすこぶる盛んだった。本当は国家国民は疲弊し、庶民はまさに
テレビドラマの「おしん」のように困窮、耐乏生活に追われていたのである。

口減らしのため、生まれた子を間引きし、飢饉で東北の寒村の娘がどれほど売られたことか。
日本全土から北海道への開拓団が組織され、辛酸の苦労を舐めながら、
それは又アイヌの人たちへの迫害へと繋がった。

ハワイや南米、ブラジル、ペルーへどれ程の人々が移住したことだろうか。
まだまだ交通の便は悪く、海外移住はそのまま故郷を捨てるに等しかった。

庶民は食うや食わずで懸命に生き、お偉い中央官庁はそんな民を救うべく
政策立案に明け暮れるが、まあこれは古今東西、歴史が証明する所であるが、
地位や立場が違うと、随分考え方や価値観が違うのも宣(むべ)なるかなである。

四季が厳しく、生活環境のままならぬ中で、それなりに庶民は生きれるのだが、
一気に追い越せ、追い付けの国家の方針は、段々諸国と軋轢(あつれき)を生んでいく。

その土壌には第一次世界大戦での勝利国の自負が拭(ぬぐ)いきれない。
要するに本当は余裕がなかったのであるが、突っ走ったのである。

真珠湾を奇襲し、中国、満州、朝鮮半島、タイ、ビルマ、カンボジアと
その戦端は拡大するばかりだった。東南アジア一帯を戦略網羅し、フィリピンでの激戦、
太平洋の島々での玉砕と、戦局は刻一刻悲惨の度を強めていった。

色々な角度の検証が為され、宣(むべ)なるかなともなるのであるが、
矢張り軍部指導層の一部の傲慢、無謀は許されるものではない。

昭和20年8月15日。日本は無条件降伏に至った。
この年の8月6日の広島、9日の長崎の原爆投下がその断を下したのは言うまでもない。
沖縄では万策尽きた島民の自決が決行された。

平成20年を迎え、昭和の20年は斯く精根尽き果てての敗戦だった。

だが後々の検証で、この敗戦が今日の日本の繁栄を作ったということには
異論がないようである。沢山の犠牲を屍(かばね)として乗り越えたのである。

明治維新以来、約150年。第二次世界大戦敗北から60年。
人生も歴史も中々大変であるが、中々定まる所を知らないようである。

賢人の赫々(かっかく)たる意思も彷徨(さまよ)いっ放しである。
地位や組織の発言は周囲を慮(おもんばか)りとなるのも分かるが、
いつも非情で杓子定規この上ない。そしてそれはいつも弱者を犠牲にする。

戦時中の日系アメリカ人も苦労したし、中南米への移住者も辛酸を舐めた。
だが国家権力の庶民への対応は、いつも冷たく冷酷無情になるのはどうしてだろうか。

大戦中の兵士が、泥水の冷たい中を、汚物の中を逃げ惑った話が悲惨である。
飢えに悩まされ、草を食べ、同僚の兵士が死んでいくのを無表情に見送った。

戦争の美談は後の感傷物語である。実際は死の恐怖から逃げ惑う生き地獄である。
終戦から昭和、平成へと日本は未曾有の発展を遂げ、世界に冠たる経済大国となり得た。

だがつい先頃のこの事実を忘れてはいけない。原爆投下の語り部も老いつつあり、
戦争は物語の思い出に埋没しそうである。そして世界は今、最もきな臭くなっている。

日本を除いて世界は紛争と戦争のオンパレードの様相を呈し始めている。
それは新たなテロという名を借りてはいるが、殺戮が日常化していることには間違いない。

核保有国も充満し、軍事力も増大し、そして日本もそろそろ戦争を知らない指導者が
事の顛末に苛立ちを見せ始めている。理不尽に対処するに感情が先立ち始めている。

言葉では皆知っている。感謝も礼儀も、だがそろそろ身に染みた人がいなくなりつつある。
今、現代社会は余りにも恵まれ過ぎた故の、心の貧困が増え、我慢、耐乏を捨てつつある。

物、金が全ての風潮が社会を為し、人間の価値観すらそれに限定されそうだ。
こんな世になって今更、どう人間の尊厳の真の価値観を見出すのだろうか。

ふとこんなことを考えながら、年初一番に飛び込んだニュースは
アメリカのサブプライムローンの破綻が引き起こした恐慌の前兆である。

連日、日本の株が暴落し、これはひょっとするとひょっとするぞと思わせられた。
責任を取らない政治、経済を厳しく戒める鉄槌が下りようとしている。

金まみれに奔走した行き過ぎが悔やまれるが、気付いたときはいつも後の祭りである。
言いたい放題、したい放題のつけが、またもや弱者を苦しめ過ぎないよう祈るばかりである。

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伏見谷 徳磨

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