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■黄砂の伝説

2008年03月21日


3月に入ると又ぞろ黄砂来襲のニュースが入ってくる。
日本海を隔て、遠く中国のゴビ、タクラマカンの砂漠の砂が舞い上がってくるのである。

この黄砂が年々ひどくなっている。その量や頻度もだが、公害としての毒性もである。
地球の温暖化が言われて久しいが、中国の近代化が大量の燃料消費を促し、
大気に硫黄酸化物を撒き散らしているとも聞いた。

温暖化への加担か、相乗効果か、砂漠は更に乾燥の度を進め、黄砂を舞わせるのである。
黄砂の粒子は途轍もなく小さく、子供が吸っても肺の奥まで浸透するそうである。

昔は春の風物詩の如き黄砂でもあったが、最近はググッと様相を変えている。
その量が時に大気を曇らせ、最近の中国の画像では街をまるでスモッグ化している。
韓国までもがスモッグの如き見通しの悪さである。

天気予報の画像ではその黄砂が、薄っすらたなびいて日本に向かっている。
昔は洗濯物を汚す元凶だったり、車を汚す元凶ぐらいにしか思われていなかったが、
昨今はこの黄砂が中国大陸の公害の粉塵を身にまとって来襲するから厄介である。

だが皆さんはこの黄砂の伝説を知っていますか?
昔、始めて聞いた僕は本当に感激したものです。
この忌々しい黄砂の、今では公害にまでなってしまいましたが、その哀しいお話を・・。

昔、昔、中国は悠久の時から戦の絶えない国でした。
それは国土が広く大きく、余りにも多くの人間が住んでいるせいでもありました。

人が住めば、生活が存在し、優劣が存在し、権力や地位が芽生えます。
当然の如く、小競り合いが発生し、戦が発生し、それは段々大規模になり、
いつしか生存権を賭けての戦いが始まります。

そう、中国の歴史は正にこの戦の繰り返しなのです。
多くの兵士が死に、多くの村や街、国が滅び、多くの民が死にました。

戦火の悲惨は皮肉にも大河のロマンや物語に変化し、人々を慰めます。
死の累々たる土地を黄砂が毎年、毎年、静かに静かに鎮めていきます。
幼子を抱いた母親や、夫や息子の帰郷を待ちながら死んだ妻や母親たち。

中国の広大な大地で戦は繰り返され、繰り返され、罪なき人も巻き添えとなります。
飢饉や水害、飢えとの戦い。民衆も兵士も塗炭の苦しみに喘ぎます。
傷つき、疲労困憊し、飢えや寒さ、疫病の蔓延。人々はバタバタと倒れます。

家屋も朽ち果て、焼かれて消滅した村々や人々。
哀しみや慟哭も朽ち果てた地に、黄砂が優しく優しく、
傷跡を多い尽くすように降り注ぎます。
それは黄砂の一粒一粒さえが重荷にならないように、
小さく小さく、細かく細かく、優しく静かにそっと降り注ぐのです。
そして村々や人々は黄砂に隠され、一時の安眠の下に眠ります。

だが深い傷跡は、深い悲しみを纏(まと)ったまま、その傷は癒えません。
失ったものを得るまで、或いは失った人を見つけるまで・・、
その哀しみの心が晴れることはありません。

幾百年、幾千年の時を越え、黄砂の下に眠る人々の魂が浄化され浄化され、
いつしかその願いは純粋に昇華していきました。
それは我が子を、夫を、恋人を探す女性たちの願いです。

年に一度の黄砂の舞い上がりに、魂の一つ一つが黄砂に姿を変え、
中国全土を探し続けることを許されたのです。
遠い遠い悠久の時間を探し続ける旅は果てしがなく、
我が子、我が夫、恋人を求めて、以来黄砂の旅は続きます。

そしていつしか黄砂は日本海を渡り、日本にも来たのです。

中国全土を探し回っても見つからない我が子、夫、恋人を求め、
黄砂は毎年、春を待ちかねて、遥かな大陸から飛来するのです。

毎年春に来襲する黄砂に、こんな哀しい物語がありました。
季節の使者は、戦禍の犠牲者であり、弱者の今に続く哀れを引きずっています。

なのに最近の黄砂は、全くロマンチックな夢さえぶち壊しかねないほど、
現実の日常を反映し、あまつさえ国家や企業のエゴ剥き出しの、
少しも歓迎されない公害と化しつつあるのです。

旧きよき時代は、どうあれ自然と同調し、協調する情緒、余裕、知恵がありました。
旧き遠き季語が形骸化しつつあります。

バリバリ、ガンガン、温暖化や公害何するものと、
前進、前進、又前進の人類の行く末は怖いものがあります。
それは又個人個人が理解しつつ、どうしょうもないという現実でもあるようです。

黄砂に花粉と、全くこの時期私は精彩を欠き、目はしょぼしょぼ、
鼻水たらたらという体たらくです。

春の曙や霞たなびくという風情は、自然環境の変化にもう似合わないようです。
花粉症という言葉は最近のものですが、この症状は当然昔からありました。

小さな私の子供時代、事もあろうか、私達は杉鉄砲といって、細い竹の筒の
両側に杉の実を込め、それを水鉄砲と同じ原理の空気圧で発射していたのです。

パチーンとそれは小気味良い音を立てて、鋭く飛び出したものです。
傍らには杉の木が無造作に生い茂り、そういえばスギ花粉なる粉が飛散していました。

子供たちは皆目をこすりながら花をグシュグシュさせていました。
あの頃の、学校の検診ではトラホーマーなる病名だったかな。

時を越え、時代の変遷に、黄砂も花粉もその存在さえが嫌われています。
それは多分、度を越えすぎたからなのでしょうか。

植林による自然の生態破壊、近代化が公害を生むという図式は
正に人間社会そのものです。その身勝手が情緒さえ壊しています。

でも多分、花粉も黄砂もバロメーターなのだろうなと思っています。
それは度を越させないための、自然界の警告なのだろうと。

何をしても許されるかのごとく人間社会ですが、矢張り程々を身につけないと・・。





伏見谷 徳磨


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