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■旧い唄を訪ねて 美空ひばり、石原裕次郎   前編

2009年01月29日

唄は世に連れ、世は唄に連れと言う。
NHKの「ラジオ深夜便」という番組で、五木寛之の「わが人生の歌語り」が、
大好評で本になっている。時々の世相の出来事に人生の思惑が語られ、
昭和の時代に生かされてきた私も、とても面白く共感させて貰った。

人生の変遷、時代の大変革に何故か時々の流行歌が、
背後に流れているということには全く同感である。それは決してクラシックとか、
高尚な文化芸術とかじゃない、無雑作に大衆の間に染み込んだヒット曲、
かしこまることなく、生活の中に溶け込んだ音楽である。

そういう意味では何と言っても、昭和の大スターは美空ひばりに尽きる。
パラパラと思い付くまま列挙すれば、美空ひばり、男では石原裕次郎だろうか。
まあ、私の年齢はこの後に続く、ニューミュージック、フォークシンガーの方に、
より親近感があるのだが、同時に並行して新旧の趣を醸し出していた。

昭和初期の美空ひばりは何と言っても圧巻であり、他の追随を許さない。
戦後復興の象徴でもあり、時代を反映した大ヒット作は、歌にとどまらず、
映画、芝居にもその才能のあらん限りを発揮していた。

幼少からデビューし、ほぼ一貫して女王の名を欲しい侭にしている。
だが一方で二人の弟の不祥事、ひばり自身を取り巻くアウトロー集団の影。
栄耀栄華には常に不幸がつきまとう事を身を以て具現していた。

母と娘という絆が、時に反社会的と揶揄される状況から身を守る姿は、
健気と必死さが同情と反感をもたらし、芸能界の特殊性を炙り出しもしたが、
それは現代に照らしても、マスコミの暴挙に晒される個人の無力でもあった。

弟二人は早世し、一般家庭にはない試練が次々襲ったのだが、
何といっても極めつけは、美空ひばり自身が闘病生活の末、
未だ若くして世を去ったことであろう。平成元年6月、享年52歳である。

昭和天皇のご逝去を以て、昭和は終わりを告げたが、
私は正しく美空ひばりの死がそれを象徴したように思う。
そしてそれは同時に石原裕次郎にも言える。

石原裕次郎はひばりに優るとも劣らない大スターだった。
今も尚、裕次郎亡き後、渡哲也らが男の絆を大事に、
石原軍団を存続させていることに、単純なファンの私などは胸を熱くし、
このように慕われ愛された裕次郎に大いなる夢を見るのである。

ひばりちゃんと呼ばれ、裕次郎と呼ばれ、二大スターは同時代を共に生き、
同じ52歳で人生に幕を閉じた。裕次郎は昭和62年7月の逝去である。

昭和の最後の幕引きをし、陛下の前後に殉死したようにさえ思える。
52歳といえば、世間一般ではまだまだ壮年期の働き盛りである。
人生の色々、例えばそれが辛酸であっても、終焉に向かうには早すぎる。

裕次郎は以前にも大動脈瘤の手術で、大げさでなく、全国民の耳目を集めた。
奇跡の生還を果たし、病院の屋上で沢山のファンに手を振り、
北原三枝や渡哲也らが側に付き添い、無事を報告していたが、
あれも感動的だった。兄の石原慎太郎は、「皆の祈りが通じた」と言っていた。

大スターは斯くも皆に惜しまれ、夭逝するが故に尚、
ファン自身の身に置き換えられて、哀れや憐憫が胸を打つのだろうか。

ある夜、ラジオのリクエストでひばりの歌が流れた。「夾竹桃の花」
というタイトルだった。ひばりは芸歴が長く、興行や家族の影の部分も背負い。
世間のバッシングに耐えて、母娘で遂に孤高の地位を築いたのであるが、
(勿論栄枯盛衰を潜り抜け、こんな簡単な言葉が適切かどうか分からないが)

世間の識者然とした評価の一部は、旧い遺物扱いをする傾向が多かった。
若者の素直な所は、世の風潮に染まり、流れやすい所だろうか?
だが余りにも偉大な歌姫の存在は、あらゆる非難中傷の中でも
凛と矜持を保つファンを多く持ったことである。実力とはそんなものなのだろう。

あれっと思ったのである。知らない歌だった。
勿論膨大なヒット曲の中で、知られない歌も多いだろう。
だがラジオで流れるくらいのヒット曲なら、
一度ぐらいは耳にしていてもおかしくない。

「夾竹桃の花」は故郷を舞台に、愛が育ち、揺らぐ様が描かれ、
必然の別れを力むことなく淡々と謳っている。佳作だった(失礼)。
ひばりの抑制した歌唱力に脱帽した。

時代を背景にした男女の愛の、それは正しくフォークソングだった。
あの頃の男女の位置関係は、今のようにオープン過ぎることなく、
慎ましく控えめなものだった。社会全体にまだ遠慮がちな情緒があった。

気にしていると、その後何回か耳にする機会があった。
何れも遅いラジオの放送である。この時間帯は老人枠(勝手に)だろうか。
深夜静かに、過ぎし思い出に耽(ふけ)るに、
昔の歌は等身大の自分をも、髣髴(ほうふつ)とさせるのだろう。

老いて行く時間を静かに噛み締めるのも一興だろう。
人生を全うすることは並大抵ではないのである。
歌の一片一片が人生と折り重なる。甘く、苦く、辛く、哀しく・・、
それでも全てが良かったと思える人はどれだけいるのだろうか。
まして昨今の乾ききった社会全体の中では、思い出さえが風化しそうである。

ひばりの知られざる佳作のタイトルを覚え、瞬時に現代との比較を思った時、
同時代を共に生き、奇しくも同じ52歳で逝去した裕次郎を思った。

裕次郎のデビューは余りにも鮮烈だった。未だ私などが中学生の頃だった。
足が長く、切れ長の目で屈託のない笑いは、老若男女、皆が愛した筈である。

兄は芥川賞で、今を時めく(当時の)石原慎太郎である。
社会の鬱屈や倦怠感に喝を入れるが如く際立ったデビューだったと思う。

私は裕次郎の訃報を勤めていたカーショップのカウンターで聞いた。
その日、大阪の夜は裕次郎への哀悼一色で染まったとラジオが伝えていた。
北新地からの取材は、同時代を共有した企業戦士たちの、
涙声の絶唱だったようである。

裕次郎には雨が似合ったというが、その夜もそぼ降る雨が共に死を悼んだ。


少し長すぎますので、次回も少し、裕次郎と日活、当時の背景を・・・。

                 続く

伏見谷 徳磨

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