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■旧い唄を訪ねて 美空ひばり、石原裕次郎  後編

2009年02月16日

前回の話(前回の話をクリックすると御覧頂けます。)

では前回の続きを御覧下さい。

裕次郎がデビューしたのは昭和32、3年頃だろうか?
テレビが世に登場したのもこの少し前だ。ようやく食糧難から
開放されつつ、然し強烈な上昇志向と、時代の波に乗り、
日本は高度経済成長と銘打って、それこそ未曾有の
戦後復興を遂げるべく、端緒を切った頃だ。

国産車もボチボチ姿を見せ始め、それはまるで巣穴から
動物の子供が世間を覗く様な、恐る恐る、恐々(こわごわ)の
スタートだったと思う。

ひばりはこんな昭和初期から、戦後の貧困を背負って
人々に夢を与え、裕次郎は時代の混沌も少し落ち着き、
更に飛躍する躍動期に颯爽と登場した。

街頭テレビで人々が力道山の空手チョップに狂喜乱舞し、巨人、大鵬、
目玉焼きの言葉も生まれ、昭和は少しずつひもじさと決別し始めていた。

先ずプロマイドである。当時のスターはこのプロマイドの売り上げが、
人気のバロメーターだった。裕次郎もひばりも群を抜いていた。

芸能誌は「平凡」と「明星」である。表紙にはいつもひばりが出ていたが、
それがいつしか裕次郎に代わり、多彩な俳優たちが入れ替わった。

その頃の記憶の断片であるが、私たちの学校の生徒会長を選ぶ選挙で、
候補が最後に「皆さんの一票を『俺は待っているぜ』」と、
裕次郎の歌に被せて言った事を覚えている。

既に裕次郎は青少年に大きな影響を与え、
それは次の世代の私たち中学生にも影響を与えていた。

少し不良っぽく、正義感に燃え、悪に強い。
まあ安っぽいドラマ仕立てだが、当時の女の子には圧倒的な人気だった。




裕次郎が出れば小林旭が出、こちらもマイトガイなる名で売り出していた。
裕次郎は勿論正統派のタフガイだ。この他と言ったら叱られるが、
二谷英明はダンプガイ?だったかな。宍戸錠はエースのジョーだった。

実に安易だが、当時はこれでピタッと収まっていた。
そうそう、日活には、赤木圭一郎もいた。撮影所でゴーカートに乗り激突死。
早世したアメリカのジェームスディーンになぞられていた。
トニーの愛称だった。

今不思議に思うのだが、これを書いていて、
何の苦もなく当時のスターの名がすらすら思い浮かぶことである。

世の中は、或いは若い男女は、娯楽なるものに飢えていた。
恋愛感情にも飢えて、日本はようやく大人への入り口を見つけていた。

それにしても、当時の日活映画のロケーションは港町、マドロスだったなあ。
そしてクラブの女の子。ヤクザに追われる女の子を、
颯爽と現れた風来坊がやっつけるというストーリーだった。

実に簡単明瞭。だがこれで良かったのだ。くだくだした説明は要らない。
ファン、特に女の子はスターが現れると只、キャーキャー騒いでいたからだ。
このシチュエーションは裕次郎も、小林旭も得意というか、
お手軽仕上げだったが、そもそもスターに強烈な吸引力があるから、
ストーリーはむしろ簡潔を以て良しという側面があった。

そして映画スターは同時に歌にも稀有な才能を発揮していた。
最初は映画の主題歌として、挿入的な要素が強かったのだろうが、
何の何の、映画スターの実力は歌唱力に於いても、
演技以上のものがあったのである。

そして更にどの映画スターよりも傑出したのが裕次郎だった。
デビュー当時の裕次郎も遠く、まして西武警察での太って貫禄充分の
ボスも去って、今や二度とお目にかかれないが、裕次郎は死して尚
歌を残した。

そのヒット曲は余りにも多く、デビュー当時の「錆びたナイフ」や、
「俺は待っているぜ」は、如何にも若かりし頃の気配が濃厚で、
時代を共有した人々の心の中に今もしっかりと生きている。
又初期の歌は映画とセットだから、尚更そのイメージが強い。

自然児、野生児の匂いも併せ持ち、奔放と照れが同居し、
実に裕次郎は魅力的だった。時代の変遷の中で映画も大変になったり、
テレビが映画を駆逐するかのような勢いもあったが、何とか凌いで、
裕次郎は晩年、映画やテレビより、歌の方でより活躍したと思う。

デビュー曲、そして円熟期のムード的な歌の数々。
ビールを飲みながらレコーディングするという逸話も、
裕次郎ならばこそである。

「風速40m」も好きだったなあ。「赤いハンカチ」・・、「ブランデーグラス」、
枚挙に暇がないが、「粋な別れ」も好きだった。
そしてこの頃から裕次郎は先を暗示していたように思えてならない。

今思うと、誰にも当てはまるのだろうが、裕次郎の歌には人生があった。
最晩年の、闘病中に発売された「北の旅人」は余りにも痛々しくて、
すぐ側に来ている死への予兆を、商業ベースが先取りしている気配さえあって、
裕次郎ファンにとっては、新曲を望みながらも、聞くに辛い思いをした。

二度目の生還ならず、裕次郎は帰らぬ人となった。
その以前、裕次郎は大動脈瘤の大手術で奇跡の生還を果たしている。
病院の屋上で奥さんの北原三枝や、石原軍団の渡哲也らが手を振って、
生還をファンに感謝していた姿を思い出す。
男の友情や人間同士の信頼感が裕次郎の回りにはあった。

52歳の死はそれまでの栄光や名声が余りにも輝かしかったから、
尚痛々しく人々の胸に突き刺さった。

裕次郎の死を天も惜しむように雨が降り、雨男の物語に又箔をつけた。
その夜は全国で裕次郎の曲が流れ、時代を共にした人々に、
深い決別の涙を流させた。

私も遅ればせながら「銀の指輪」を口ずさんだ。
遠い日覚えた歌で、大ヒットとはならなかったが、中々の佳作である。
身の丈の歌詞は、港の女と男の一夜を歌い、叙情的だ。
そして全てが遠く流れて、裕次郎は逝き、私も年を重ね、人は老いてゆく。

小さく呟くうち、往年の裕次郎の歌の声の響きが蘇った。
人気絶頂の筈なのに、裕次郎の周囲には歌も含めて、
えもいわれぬ、寂しさが同居していた。という事に始めて気がついた。

その夜、裕次郎を偲んで歌った人たちの多くが、
私と同じ気持ちを同感したのではないだろうか。

           合掌 !


伏見谷 徳磨

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