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■アウトローの言い訳

2010年03月24日

若い頃に犯罪を犯すものは、その再犯率が高いそうである。
犯罪とまで行かなくても、世の主流に乗り遅れたアウトサイダーは結構多い。

これは個人の資質によるものなのか?世の中、環境の為せる業(わざ)なのか?
はさて置き、どこにでも一寸したドラマは存在するようである。

北陸の田舎から一寸したエピソードをお届けしょう。
国男は田園地帯の田舎にあって、学校の先生の息子だった。
顔立ちもきりりと正義感が強く、勉強も良く出来、
スポーツも出来と申し分ない少年だった。

経済力も安定していて、国男クラスが将来、
立派な人間になっていくだろうことは誰も疑いの余地がなかった。
皆と仲良くしていて、俊夫とか私とかも仲良しだった。

私も俊夫も平々凡々な庶民の子?だったが、
人間や家庭の有り様は中々、早々一面だけで図れるものでもないらしい。

昭和35、6年頃だろうか、時代は未だ手作り宜しく、
人間関係が緻密で家族や家庭、地域、近隣と事細かい。
先輩、後輩や友達関係も複雑で親密で、煩雑、猥雑だった。

良き面と悪い面はいつの時代にも、どの人にもあるが、
時に余り風評や、人々の視線の中に日常があるのも困りものである。

あの頃は学校の成績がいつも廊下に張り出され、
国男はいつもトップクラスの成績だった。
そしてそれぞれが高校へ進んだのだが、
国男は勿論県下一の進学校へトップクラスの成績で入学と・・。

実はこの中学校で国男との交友は途切れたのである。
俊夫は勉強が好きじゃなく、家庭も貧しかったので就職の道を選び、
私はまあ勉強好きでもないのだが、皆が行くからと高校へと進んだ。

それぞれが、それぞれの道を歩み、それぞれの世界を作り始める。
若い頃は自分のことに夢中だったり、余裕もなかったりで
時間はそれこそあっという間に流れ、今現在しか確認する術がないのだが、
風の便りで国男は東京へ出、東大へ進んだと聞いた。
まあ、さもありなんと、既に国男の人生は遠い世界のことだった。

20代の頃に1度クラス会をやったが、
半数以上の出席者の中に国男の姿はなかった。
俊夫は社会に出てから、急速に大人の世界の、
それも裏社会の如きにのめり込み、
一端(いっぱし)の顔のように振る舞っていた。

まあ、言っても未だ幼稚なものではあったが、
それぞれの人生の岐路がこうしておぼろげながら、
形を整えていくことは充分想像がつく。

私はまあ、車屋のセールスで、それなりに忙しく多忙で、
日常に流されながら、俊夫とはたまに接点があった。

が、月日は流れ、いつの間にか俊夫の噂も聞かなくなり、
国男とは勿論音信不通。それぞれの友達の誰とも疎遠というより、
新しい社会の、新しい友や顧客の人脈の広がりの中で、
過去の友達をわざわざ訪ねることはなかった。

勿論、身近にしょっちゅう会う友達と飲む機会はあったし、
廻り回る友達同士の音信を漏れ聞く中に、
俊夫は名古屋に出て、建築関係の仕事を自営していると聞いた。

裏社会が嫌になって、この地を出奔してまあまあ頑張っているらしい。
中学を卒業して10年、そして20年と過ぎ、皆40の年齢を重ねていた。
そんな或る日、俊夫から突然電話が掛かってきて、会うことになったのである。

ガラの悪かった俊夫が、多少名残りを残してはいるが、
建築関係にありがちな雰囲気で、
然しきっちり正業としてやっていることは理解出来た。

その俊夫が言うには、国男はどうも大変な人間になっているという。
「ヤクザだぜ、ヤクザ。それも結構な地位らしい。今度名古屋で会うんだ」

懐かしさと、そんなスリルある友達の変遷の歴史に
興味が湧かないわけがない。私も一緒にとなったのである。

それにしても国男の消息は余りにも短絡的に切れていた。
中学時代の先生の息子と(名実共に正真正銘の血統書付きなのに)、
音信不通の中の突然の消息は、余りにも驚くべきものだった。

名古屋のレストランで会った時、私たちは未だお互い皆若かった。
俊夫の方がガラが悪そうに見え、国男は確かにそう見えなくもないが、
ごく普通、一般人の感じがしないでもない。

中学時代、あの頃は番長が流行っていた。俊夫は紛れもない番長だった。
その頃のまま、俊夫が存在な口調で場の調和を保つ。
「でも国男な、好い加減足を洗わないと駄目だぞ」
俊夫がその道でも先輩宜しく、知ったようなセリフを言う。
「まあな」とか何とか、国男の語調は昔と変わらない感じがした。

久し振りの邂逅(かいこう)も、2時間近くも経ったろうか。
「兄貴、そろそろ時間です」と、これは又如何にもその筋と分かる
青年が2人、国男の近くに近付いたのである。ネクタイ姿だった。
「おう、そうか。じゃあな、又会おうよ」

それ以来、私は国男と時々会うようになった。
国男は「故郷は捨てた」と言い、俊夫の住む名古屋で会ったり、
私が1、2回東京へ出たりした。
実は私個人と国男だけの友情があったのである。

中学時代、学内切っての秀才の国男と、凡才の私だったが、
私も時として気紛れで、成績表のトップクラスに紛れる事があったのである。
「義兄弟の約束をしょうよ」。国男は言った。

オールマイティーで、全てに優秀な国男だったが、
故に若干、皆から敬遠というか、眩しく見られている部分があった。

私は能天気に何もなかった。私の方が2月ほど早生まれで、
「お兄さんになるな」、と国男は言ったのだが、そのまま疎遠になった。
俊夫は中学時代は粗暴で、皆から恐れられていた。

「一体、どうしてヤクザになったがよ」
「まあな、色々あってな」と、都度(つど)国男は濁していたが、
私が大阪に来て、久し振りに名古屋で俊夫と3人で会い、
フグで一杯やり、散会の後、国男と二人きりになった。

少し酒が入って、感情も豊かになっていたのだろう。饒舌だった。
実は東京へ出る前、俺は養子だったと気付いたんだ。
戸籍を取ると分かるだろう。そして色々知ったんだ。

小さい頃、おじさんと聞いていた人が親父だったんだ。
子供心に何故か懐かしい思いをしていたと気付き、俺は訪ねた。

長くなるので掻(か)い摘(つま)むと、訪ねた親父さんは
離婚して、家族を捨て家を出ていた。
お母さんは訪ねる1年前に亡くなっていて、
姉と妹が苦しい生活をしていた。
国男は東大生だったが、このまま自分だけ
安穏な生活をしていて好いか悩んだそうである。

そして何とか親父を訪ね宛てたそうである。
国男は只懐かしく、そして何故だという疑問と、
矢張り姉妹だけの暮らしも詰問したく会ったそうである。

「親父は俺を見ると、土下座したんだ。心の中に風が吹いたよ」
そうじゃない、そうじゃないんだ、親父。俺は只会いたかったんだよ。
俺の思いはだけど言葉にならなくて、それきり親父とは疎遠になった。

俺を育ててくれた親には悪いと思いながら、
俺は心の羅針盤が揺れっ放しで、
どうにももう、まともな社会には暮らせないと思い続けた。

でも今までの暮らしぶりのせいか、どうしても悪いことは出来ない。
心配した親が上京したが、俺は学校を辞め、下宿も替え、連絡を絶った。

どうしたら良いか分からなかったのだ。ひたすら堕ちる事を夢見、
でも食っていくために、日雇いやら、クラブのボーイやらアルバイトを重ねた。
人間、生きていくことは大変なことだと知ったよ。

結局、もう一度キチンとやり直そうと思ったときは、この道に染まっていた。
とまあ、国男はこんなことを言って泣いた。居酒屋で二人きりだった。
故郷が恋しくて恋しくて、東京の雑踏を歩きながら、
腹をすかしふらふらになって歩いていたんだ。

故郷の山や川。本当だ。田んぼのあぜ道の温もりにもう一度浸りたい。
国男は声を殺して居酒屋のカウンターに頭(こうべ)を垂れた。
鼻水がカウンターに流れた。私も胸が一杯になった。

「それは俺のことだよ」
国男とそれ以来、1、2年会うことなく、俊夫と会った時、彼は言った。
「あいつは本当にワルになってしまったな」。ポツンと俊夫は言った。

あれからもう20年になるのである。その後プッツリ音信が途絶え、
俊夫が死んだと聞いたのはつい最近のことである。
国男の話の真偽は遂に誰に聞くことも出来なかったが、
俊夫が中学で急に荒れ始めたのは、親父が家を出て以来だそうである。

俊夫の死も寂しいものだったそうである。仕事に失敗し、
1人住まいの部屋で気付かれずに死んでいたという。

故郷が恋しいと言って泣いた国男の消息は遂に知れない。
一度新聞に大見出しで、暴力団の土地疑惑に名前が載っていたが
それ以来である。

誰の話がどうで、どこまでがどうか分からない。
国男の話が本当だとしても、育ての親はどうなるのか?

国男と俊夫と私、住む地を変え、突然再会したのは40才を過ぎてからである。
涙は本当だったと思うし、昔と変わらぬものも残ってはいたが、
15才まで過ごした田舎時代より、後の長い人生が深い影も作っている。

アウトローは妙に納得させる言い訳を持っているなと、唐突に思った。

小生架空の話です。楽しんで頂ければ幸いです。

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