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■フジ子・へミング

2010年11月19日

この名を始めて聞いたのは、何かのテレビ番組だった。
流浪のピアニストであり、苦闘の生活の中でやっと日の目を見たという物語である。

正確にはNHKが企画した放送番組が大ヒットし、それからの物語である。
軽くおさらいすると、お母さんがピアノの教師であり、
ドイツ留学中にスウェーデン男性と結婚し帰国、その子供がフジ子・へミングである。

時代は戦争前後であり、外国人の父は来日後帰国。
その後の人生が過酷だった事は想像に難くない。
兄が居たそうだが、戦時中のいじめは言語に絶しただろう。

大阪生まれの母は生活のためにピアノ教師として忙しい。
そして或る日、母はわが子のピアノの才に気付かされる。それは衝撃的だった。
人それぞれに運命がある事、宿命がある事への予兆が感じさせられる。

それから母は実に厳しくわが子に教える。それは後々の生きることへの糧となるよう、
母が考えた手段だったのだろう。遊ぶ事も休む事も許されずそのレッスンは日々続く。

そして東京芸大のドイツ人教師にフジ子のピアノを聞いてもらえるチャンスを得る。
教授はすぐフジ子の偉才に気付く。世に出るチャンスを得ながら、教授の逝去。

フジ子はヨーロッパ留学を試みる。この前後も大変。戸籍がなかったり、
システムが完備してない。結局ドイツ大使館の大使の斡旋というか、
紹介で難民という扱いで渡欧。この難民という設定も時代がかっている。

戦争という時代に翻弄され、ドイツに着いて後も苦難の道は続く。
先ず若い娘の身で、同胞たる日本人の女性たちからの差別の目。
それは貧困と、由緒の来歴を持たぬ身故である。仲間はいなかった。

フジ子は厳しい孤独という世界に閉じ込められ、
食うに事欠く生活苦から始めなければならなかった。
この時代に渡欧などできるのは、ほんの一握りの人々。
外交官の子女か、余程の財閥の子息かである。

いじめは人が集まりさえすれば自然に発生する。それは強者の弱者への慰みだ。
果敢に腕を磨くフジ子だが、その才能は、いつもチャンス直前にすり抜ける。

カラヤンに直訴し、バーンスタインにチャンスを見出されながらアクシデントが襲う。
ピアニストとして音楽家として何より大事な耳が風邪に侵され聞こえなくなったのだ。

音楽の都ウィーンで、ショパンを弾くために世に出た天才とポスターまで貼られながら、
デビューのチャンスは潰えてしまう。電柱のポスターが風雨に晒され汚れていく。

ドイツの音楽大学時代、スゥエーデンの父に連絡を入れるも面会を拒まれる。
何重の失意がフジ子を覆っていた事だろう。生活苦と戦いながらピアノ教師として生き、
音大の仲間が華々しくデビューするのをどんな思いで見ていたか。

そして日本へ帰国。母の死を聞いてである。良くも悪くも母がフジ子の総てを暗示している。
フジ子は多分に年を負い、生活苦の辛酸が身に染みていた。
若く美しく才ある女性、ピアニストとしての栄光の舞台。それらとはもう縁がなかった。

節くれて厚い手、太い指。それらは優雅なピアニストのものではない。
傷つき、打ちひしがれ、孤独と戦い、人生の憂鬱を充分体に纏(まと)った初老の女性。

だがこの女性が弾くピアノを聞きながら人々が涙を流すのだそうである。
それはどんなに華やかな舞台で、どれ程高名な芸術家たちの演奏より、
静かに深く聞く人々の心のひだに染み、人の様々な悩みや思考や感慨を汲み取って、
押し付けることなく、媚びるでなく、淡々と自身の越し人生を披露しているからである。

幼少にして母は子の天賦を見出し、戦時中の出自のいわれなき境遇は辛かった。
母は子に生活の術を教えるべく、スパルタ教育を施し、
子はその期待に充分応えるべく実力を持ちながら運命の過酷に苛まされる。

町の小さなコンサート会場で、聞く人の涙を誘うピアニスト。それはフジ子・へミング。
そのピアニストは何の経歴も持たず、年老いて節くれた数奇な運命を身に纏った人。
NHKの職員がそのうわさのコンサートで、心ならず魂を揺さぶられた事がフジ子を発掘。

唯フジ子・へミングは最後の最後まで世にでる予感を禁じ得なかったそうである。
充分年老いたが、遅すぎる事はない。その辛酸を舐めた人生が深く深く醸造され、
やっとお披露目となったのではなかろうか。
そしてこのことは人々をどれほど勇気付ける事だろう。

昨今の若い人の苦労を年寄りがエッと驚くそうである。浅いのである。
戦争を体験した人々が言う苦労は最早現代では理解の範疇を超えているようである。


NHK他、テレビなどの聞きかじりですので、精緻を欠いていると思いますが、
何らかの幾分は伝わるものかと、拙文で失礼致します。

伏見谷 徳磨

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