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■久し振りのベンツW126

2011年02月21日

去年は熱暑が騒がれ、連日の猛暑に悩まされたが、
年を明けて今年の冬は一転、酷寒とおぼしき寒さが続いた。
おまけに雨が極端に少なく、寒さと水不足で野菜や農作物に影響があるという。

温暖化も叫ばれ久しいが、確かに気象や自然現象に異常がみられる。
オーストラリアでは日本の国土の3倍以上が水浸りになり、ハリケーンまでが襲来。

去年も世界中で異常が多発したが、もうこうなると異常ともいえなくなる。
確かなのはこうして地球が疲弊というか、人類が段々隘路に行く事だろうか。

さりとて科学技術の進歩は最早、人類の生命としての臨界点を越え始めている。
工業技術は勿論、バイオによる生命の操作さえが人類の手の内にあるような錯覚にある。

だがだがである。各々ご油断召されるなと言いたい。
人類は連綿とこうしてステージを昇り続け、今や他の哺乳動物とは別種の感さえあるが、
それは余りにも虚構を纏った、本質を忘れた姿?といえなくもないのじゃなかろうか。

肉体、精神を持つ生命としての人間は、太古の人類とほぼ同じ能力と聞いた。
服を纏い、車に乗り、道具を使い・・、自然の摂理をコントロール下に置いたかのようだが、
その実、自然の猛威の前には為す術がないことは、余りにも明白である。

栄枯盛衰は世の常だが、遂に人類全体がこの日本の情緒的な言葉に包まれ始めている。
行き着くところは破滅しかないのか?破滅するまで繁栄を求めるのか?
繁栄とは何なのか?所詮人間の強欲、貪欲が地球を食い潰すのだろうか?

と思ったらいきなりチュニジアの政変。名も知らぬ小国と思っていたら、
エジプトの政変。中東アラブ社会、アフリカの異変が次々と止まる所を知らない。

インターネットによる、遂に新しい革命が起き始めた。
それは最早既存の秩序に基づくものではなく、
一個人、一個人の余りにも突出した力(実は微細である)が動き始めたのである。
自由という言葉が最早自制を持たなくなってきた。

底辺には食料の値上げという、生きる最低限が脅かされたのと、
一般庶民の大多数が苦しんでいるのに、それを土台に富と権力を貪る存在である。

まあ、独裁政権が20年も30年も続けば、権力は腐敗するしかない。
それにしても過去の轍が何の教訓も持たないほど権力は美味しいものなのだろうか。

と、つい要らぬ事にきりきりと頭を悩ませ、私は2月の寒気が一服した好天に、
久し振りに旧いベンツに乗る機会に恵まれた。

これは実に幸せな事であった。世界もそうだが、日本も政治がパロディー化している。
こんな七面倒くさく、権力亡者の妄言に煩わされたくない。

「久し振りだな」と、その昔、´91年式(平成3年)のベンツの最終モデル、
560SELを販売したお客さんが会社を訪問してくれたのである。

時々交流しているから、その車の状態は良く知っていた。
20年を経て、走行距離は5万6千キロ。雨の日は乗らないというユーザーである。

それはそれは徹底していて、雨の日は乗らず、修理に出せば付っきりである。
修理工が座席に座るのが気になる人で、車検は私ところでユーザー車検である。

理由は何処も悪くないから、余りあちこち触って欲しくないのである。
とまあこんな状態だから、それはそれは車は往時の新車同様のコンディションである。
日常的に仕事に使う車を何台も持っていて、ベンツは最高のコレクションであった。

それが「今離せば幾ら?」と来た。「エッ」と驚いた。
最後までベンツをガレージの中で永久保存するんだと思っていたからだ。
ガレージの中には車が4台駐車出来た。

この人の車好きはベンツだけに留まらず、仕事で使う他の車も磨き倒している。
軽四も1台あり、勿論雨の日も使っているが、これがピカピカなのである。
走行距離は20万キロを越えていた。ビックリしたのである。

そういえば新車を納めて、4,5年も経っていただろうか。
ガレージの後ろの壁で、リヤバンパーを擦ったのである。
何と何と、この時リヤバンパーを3本取った事を覚えている。

取り付けて納めたら、光りにかざして線傷があるというのである。
これには参った。バンパーはナイロンに包まれ、ダンボールに揺られてくるのだが、
線傷といえば、この時に擦る傷というか、光りの加減の微妙なものである。

塗装屋さんも参って、結局バンパーを塗装して納めた。
「今度のバンパーはきれいだな」と納めさせてもらったのである。

その車を売るというのだ。幾ら新車同然といっても20年前の車である。
まあ元々お金持ちだから、どういう気持ちの変化か知らぬが今わが社に置いてある。

そして1日私は(買い取った後)、このベンツで久し振りに往年の思いを取り戻した。
560SELは、ドロドロとしたトルク音を響かせ、重厚なSクラスを蘇らせてくれた。

そうなのである。20年前のベンツは、それこそ世界最高峰の車だったのである。
アメリカ車が一時日本を席巻し、その次にヨーロッパ車の伝統と歴史が参入した。

派手でパワフルで、いかにもアメリカンドリームを体現していたアメ車。
実直で勤勉なドイツマイスターの車、車が国情を物語った時代である。
ラテン系の車(イタリア車、フランス車)は総じて楽天的だった。

旧きを偲べば、理屈は後付になるのだろうが、確かにそうともいえる。
そして日本車は、実は既に品質という実力に於いては世界一だったのであるが、
如何せん、未だ自他共にその自覚に欠けていた。歴史が浅かった。

個性がなかったとも言える。最近叫ばれている新興国の如く、
物真似から始まったのには間違いない。誰もが最初はそうなのである。

だから外に向かって大きく発せない。物真似の後ろめたさ、自信のなさ、
歴史の積み重ねのなさが、自身を客観的に評価できない。

ベンツ560SELは、そんな日本車の歴史の転換期の象徴でもあった(今思えば)。
既にノントラブル、そして安くて高品質の日本車の評価は定着しつつあった。

過去の安かろう、悪かろうの日本製品は、遠い戦後の話である。
刹那的なスタートを誇ったアメ車、デザインの派手さに比し、ベンツは地味だった。

未曾有のバブルが日本を席巻した時期でもある。人々の趣向が多様化した。
昭和が終わり、平成の年になり、日本は長いトンネル?といわれる時期を体験した。

だが世界も変わりつつあったのである。それがここへ来て又一段と加速してきた。
ベンツW126。Sクラスの型式である。そして最高峰が560SELだった。

往時の新車の面影が古めかしい。今は総てがコンピューター装備だが、
この頃は未だ機械式であり、アナログが総てを包んでいる。
旧い故のエンジン音、トルク音が懐かしい。車体もガッチリしている。

国道171号線の信号を超えざまアクセルを吹かす。
重そうな車体が重量を引きずったまま加速する。
それは新しい技術云々を言う前に、原始といえば大袈裟だが、
人間の肉体や精神に感応する原点を思わせて、爽快だった。

荒々しいパワーがストレートに吐き出される。

昔から日本車は資源小国故、排気量の小さいものが得意だったが、
やはりそこは5600CCの排気量である。

この圧倒的なパワーの違いが、日本と外国との違いだった。
20年を経過し、この図式はどう変わっただろうか?

今は車に代わり、コンピューターが人々の生活習慣を変えている。
何も知らぬ故、(失礼ながら)無知の環境に置き去りにされていた人々が、
今、デジタルの際を使い、最もアナログ的な手段で、最も封建的で強権の
独裁国家を転覆させつつある。

この流れは由々しき事である。世界を変えるかもしれない。
そしてどうあれ流れは止める事が出来ない。
随分久しく間を置いて、ベンツSクラス、W126、560SELが教えてくれた。
少しばかり暗号のような思いで、呟いたのである。


伏見谷 徳磨

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